論理的な文章を書くための2つの原則

「論理的な文章とはどんな文章か」について明快に解説した本は、私が知る限りない。そこで、「論理的な文章とはどんな文章か」について、私の考えを書いてみる。

古賀史健著『20歳の自分に受けさせたい文章講義』には、論理破綻の例として以下の文章があげられている。

「企業のリストラが進み、日本の終身雇用制度は崩壊した。能力主義の浸透は、若手にとっては大きなチャンスでもある。若い世代の未来は明るい。学生たちは自信を持って就職活動に励んでほしい。」

この例文に続いて、このような論理破綻に気づくには、2文をつなぐ接続詞を考えてみるとよい、そうすれば、2文がまったく別の話をしている(論理がつながっていない)ことに気づくだろう、というアドバイスが書かれている。しかし、接続詞を考えなくても、論理破綻のない文章を書く簡便な方法がある。その方法を使って、上記の例文を改訂してみよう。

「企業のリストラを通じて、能力主義が浸透しはじめた。能力主義は、若い世代に活躍のチャンスを与えてくれる。若い世代の未来は明るい。学生たちは、明るい未来に希望を持って就職活動に励んでほしい。」

上記の例文と違って、文章のつながりが明確になったはずだ。改訂方法は簡単だ。前の文と次の文の間で、主語か術語(またはキーワード)を共有させればよい。

-企業のリストラを通じて、「能力主義」が浸透しはじめた。

-「能力主義」は、<若い世代>に活躍のチャンスを与えてくれる。

-<若い世代>の「未来」は「明るい」。

-学生たちは、「明るい」「未来」に希望を持って就職活動に励んでほしい。

この改訂例と異なり、原文では「企業のリストラが進み、日本の終身雇用制度は崩壊した。」「能力主義の浸透は、若手にとっては大きなチャンスでもある。」という2つの文章の間で共有されている単語がない。つまり、論理が完全に切れている。

三段論法を思い出してほしい。

AはBである。AはCである。したがって、BはCである。

AはBである。BはCである。したがって、AはCである。

このように、三段論法で書かれた文章では、前後の文の間で主語または術語が共有されている。このような三段論法の変形として文章を書くためには、前後の文の間で主語か術語(またはキーワード)を共有させれば良い。

一方、以下のような文章では、論理がすりかえられている。

AはBである。XはCである。したがって、AはCである。

たとえば、

「福岡市」は、<海に面して>いる。港を持つ都市は、一般に海運が盛んである。この一般則どおり、「福岡市」は海運で栄えている。

著者は、<海に面して>いる都市=港を持つ都市、と思い込んでいるが、実際には両者はひとしくない。このような「論理のすりかえ」は、主語か術語(またはキーワード)の共有関係をチェックすればすぐにわかる。

前の文と次の文の間で、主語か術語(またはキーワード)を共有させること。これが論理的な文章を書くうえでの第一の原則(必要条件)だ。

第二の原則は、個々の文章の内容が正しいことだ。

「企業のリストラが進み、日本の終身雇用制度は崩壊した」・・・この主張は正しくない。「企業のリストラが進み、日本の終身雇用制度は部分的には崩壊した」なら正しいが、「崩壊した」と断定してはいけない。この例のように、正しくないことを断定する行為を「強弁」という。「強弁」は詭弁の一種である(野崎昭弘著『詭弁論理学中公新書を参照)。詭弁を使ってはいけない。

現役東大生、西岡壱誠著『東大作文』には、以下の主張が書かれている。

「断言したほうが説得力がある」

これは典型的な強弁であり、論理的な説得力はない。私もつい語気が荒くなって強弁してしまうことがあるが、それは不誠実な行為だ。反省したい。

能力主義は若い世代に活躍のチャンスを与えてくれる」という主張も強弁の一種であり、能力主義はどの世代にも、活躍のチャンスも失敗の機会も与えてくれる。このような強弁を避け、すべての場合を尽くして考え、内容が正しい文章を書こう。