書評「キリン解剖記」-映画のヒロインのようなキリン研究者の成長物語

「キリンがなくなりました」

私の研究は、動物園のスタッフから届くキリンの訃報から始まる。

・・・この書き出しは、そのまま小説に使えますね。え、あの可愛いキリンが死んだ? そこから始まる研究って何? と、読者はもうすっかり郡司さんがこれから語る物語に引き込まれてしまいます。

「亡くなってしまったキリンの遺体をトラックに載せ、研究施設に運び込む。トラックについているクレーンを使って、遺体を解剖室に下ろす。キリンの首は、長さ2m、重さ150㎏ほど。ヒト用の解剖台にぴったりのサイズだ。」

・・・この描写は、そのまま映画の冒頭シーンに使えます。「キリンの遺体」というミステリー感たっぷりの題材が、解剖室に下ろされる。クレーンやヒト用の解剖台という道具立てもリアルで、物語を盛り上げるビジュアルとして、効果的。これから何が始まるんだろう。

以上に引用した文章は「はじめに」の冒頭です。「はじめに」の後半には、こう書かれています。

「この本は、物心つく前からキリンが大好きだった私が、18歳でキリンの研究者になることを決意し、恩師と出会い、解剖を学び、たくさんのキリンを解剖して「キリンの8番目の“首の骨”を発見し、キリンの研究で博士号を取得するまでの、約9年間の物語だ。」

通常の書評なら、ここから本書の内容を要約し、それにコメントをつけるのですが、本書の要約を書くのは、大ヒット上映中の映画のネタバレをするようなものなので、やりません。興味を魅かれたあなたは、もう買うしかありません。「約9年間の物語」が面白すぎることは保証します。

本書には「約9年間の物語」以外に、幼少時のエピソードが書かれているので、そこを紹介して、さらに期待感をあおることにします。

「キリンが、好きだ。

キリンと出会った瞬間や、始めてキリンを好きだと思った瞬間のことは、よく覚えていない。ただ、一歳半くらいの頃に近所の写真館で撮った記念写真には、2頭のキリンのぬいぐるみに囲まれた私の姿が写っている。」

次のページには、この記念写真が掲載されており、か、かわいい。その隣には、著者が3歳の頃に描いたキリンの絵があり、へ、へた・・・(うさぎとネコはかわいい)。

この写真と絵を見るだけで、ただものではない感と、著者のキリン愛とが伝わってきて、ハートを射抜かれます。

本書には随所にキリンにまつわるコラムが掲載されており、本文だけでなく、こちらも楽しい。最初のコラム「キリンの名前と解剖学者」の冒頭には、まど・みちおさんの詩が引用されています。

きりん  きりん  だれがつけたの?  すずがなるような  ほしがふるような  日曜の朝があけたような

キリン愛がほとばしる書き出しですね。そのあとの、「ぐんじめぐ」は濁音が多く、清音だけの名前に対する憧れがあるというエピソードも、読ませます。

このコラムで紹介されているキリンの名前の由来は、私も初めて知りました。中国名だと思っていたら、キリンの中国名は「長頸鹿」。中国で「麒麟」が使われたのは一回だけで、アフリカに遠征した武将が皇帝に、皇帝のおかげで麒麟(伝説の霊獣)が現れたとゴマをすった記録に登場する。その記録を読んだ江戸時代の蘭学者桂川甫周が、ジラフに麒麟の名をあてたそうです。

桂川甫周は「解体新書」の翻訳に関わった蘭学者であることを紹介し、著者は次の文でコラムを結んでいます。

「甫周が生まれてくるのが200年ほど遅かったら、きっと今頃、私と一緒にキリンの解剖をしていたに違いない。」

ここまでの紹介でおわかりのとおり、著者の郡司芽久さんの文章は魅力的です。つかみも、展開も、結びも、うまい。キリン愛にあふれていますが、それを押し売りせずに、落ち着いた文章で読者にうまく伝えています。

そして何より、郡司さんがキリンの研究を決意してから研究者として悩み、成長する「約9年間の物語」自体が、面白すぎます。小説に書きたくなる出会いと展開があり、映画に作りたくなるビジュアルがあります。郡司さん、小説か映画のヒロインを実演していますよ。

日本学術振興会育志賞を受賞した郡司さんは、講演を聞いた宇宙物理学者から「子供の心のままで大人になれて、幸せですね」という言葉をかけられました。この言葉に対して郡司さんは、「この先生のお言葉は、私のこれまでの人生を柔らかく包み込み、肯定してくれたような温かみがあった。これ以上嬉しい気持ちになる言葉に、私はこの先の人生で出会えるだろうか。」と書いています。

きっと出会えますよ。そしていつの日にか、郡司さんが後輩に、同じように温かいはげましの言葉をかける日が来ることを、心から願っています。

文章力は人生を支えるスキル

 私の人生を支えているスキルは、文章力と実行力だと思う。中でも、文章力にはよく助けられている。達人ではないけど、書く作業を楽しめるだけの文章力はある。この文章力のおかげで、論文をしっかり書けるし、申請書の説得力が高いし、本を書いたりエッセイを発表したりもできる。何より、こうやって楽しくブログが書ける。

 大学生のうちに身に着けておくべきスキルをひとつあげるなら、文句なく文章力だ。英会話力やプログラミングのスキルもおすすめだが、これらはいつも役立つわけではない。一方で、文章力は、日常生活と仕事のあらゆる場面で役立つ。こんなに役立つスキルは他にないので、大学生にはぜひ文章力を磨いてほしい。しかし、残念ながらほとんどの大学で文章力についての講義や演習がない。文章力についての良いテキストもほとんどない。そこで、文章力についてわかりやすく学べるテキストを書いてみたいと考えている。

 ただし、文章力はスキルなので、テキストを読んだだけでは、身に付かない。楽器やスポーツや英会話の場合と同様に、何度も繰り返し練習して、文章の書き方を体で覚える必要がある。その練習は、できるだけ楽しくやりたい。

 文章を書く練習を楽しくするには、表現する喜びを経験するほうがが良い。理科系の作文には論理性があれば表現力は要らない、という主張があるが、私はこの主張には賛成できない。論理的にきっちりした文章を書くことより、読者の心を動かす表現を工夫する方が、多くの人にとっては楽しいだろう。そもそも論理性と表現力は対立するものではないので、両立させればよいだけだ。「熱帯雨林には非常に多くの樹木の種が共存している」と書くよりも、「熱帯雨林には、わずか500m2の面積に、500種を超える樹木がひしめきあっている場合がある」と書く方が、読者の興味を引けるだろう。

 文章力を磨くには、ブログや日記を書いて、それを友人に読んでもらうのが近道だ。「ブログ読んだよ、面白かった」と言われれば、「よし、もっと面白いブログを書こう」という気になるし、「うーん、今回のブログはちょっと上から目線だね」と言われれば、「そうか、次からもっと読者目線の文章を書こう」と反省する。こうやって工夫を繰り返し、書く経験をたくさん積むことが、文章力を磨く王道だ。

 ブログや日記の題材には、読書メモ(簡単な書評)、映画鑑賞メモ(簡単な映画評)、旅行記、などをおすすめする。これらの題材について書くときには、まず本の内容、映画のあらすじ、旅行の顛末を要約しよう(映画の場合には、ネタバレありと断ろう)。この「要約」というプロセスが、文章力を磨くとても良いトレーニングになる。たくさんの内容の中から、自分が大事だと思うところを選び出し、背景事情の紹介を加えて、短い文章でわかりやすく説明する作業を繰り返せば、文章力は確実に身につく。

 この「要約」に続いて、あなたの感想やコメントを書こう。最初は、「すごく感動的な映画だから、ぜひ見て!」という短い感想でもいい。すぐに、この表現では読者にどこが感動的か伝わらないことに気づくだろう。どこがどう感動的かをよく考えて、それを読者に対して説明する作業が必要だ。

<第二章レッスン1のタイトルは、「論点とは何か?」。そして最初の文章で、「論点とは文章を貫く問いだ」、という答えがズバリと書かれています。バッターボックスに立ったとたんに、豪速球が目の前を通り過ぎて、ミットにズバッと収まった感じ。>(書評『伝わる・揺さぶる!文章を書く』より

このように、「たとえ」を使うのが、感想を表現するひとつの方法だ。

 一方、「コメント」を書くには、「自分インタビュー」という方法が有効だ(山田ズーニー著『伝わる・揺さぶる!文章を書く』)。「自分インタビュー」とは、要約した内容についての質問を考え、その質問に自分で答えてみることだ。

<ミラクルな指導のエッセンス、それは「自分で問いをつくって、自分にインタビューしてほしい」とアドバイスしたこと。え、それだけ? もちろん、これだけではありません。このひとことアドバイスにたどりつくまでの、著者の努力と熟慮、そのリアリティはここでは伝えきれません。ぜひ本を読んでください。>

 一文目が、私が最初に書いた「要約」文だ。この要約に対して、「それだけ?」と自問してみた。そして、この要約で漏れている重要なポイントは、「リアリティ」だという答えにたどりついた。そこで、次の段落でこう書いた。

<短い言葉にリアリティを与えるストーリー。このストーリーを「リアルに語る力」が、文章力のもうひとつの要。>

 これは、山田ズーニーさんの主張ではなく、私がズーニーさんの本を読んで考えたこと、つまり「コメント」だ。感想とコメントは違う。コメントとは、要約した内容についての「自分インタビュー」から生まれた、自分の考えのことだ。

 書評や映画評が面白いのは、評者独自のコメント、つまり考えが書かれているからだ。良いコメントには「そうかこういう見方があったのか」という驚きがある。その驚きが大きい書評・映画評ほど面白い。実は、科学論文でも「そうかこういう見方があったのか」という驚きが強いほど、より魅力的だ。もちろん、その見方には説得力が要る。

 「要約」→「コメント」という構成は、授業レポートのスタンダードだ。授業レポートでは、まず「要約」すなわち「授業で学んだことの簡単なまとめ」を書いてほしい。そのうえで、感想ではなくコメントを書くのがよい。「マルハナバチの写真がすごく可愛かった。自分でも探してみようと思います。」などと書かれても、教官はちっとも共感できない。「それだけ?」とがっかりするのだ。ぜひ、「自分インタビュー」をして、「コメント」を書いてほしい。

 このような「要約」と「コメント」を日常的に書けるようになれば、あなたの生活はずっとクリエイティブで楽しいものになる。たとえば一週間のあなたの生活を「要約」し、それに「コメント」をしてプレゼンができるようになれば、あなたの平凡な毎日は、ちょっとしたドラマに変わるだろう。

 実際に私は、書くという行為を通じて自分の毎日を見つめなおし、デザインしたり脚色したりしている。たとえば毎月1日にその月の優先課題をFacebook非公開ページに書いているが、この作業はその月のシナリオを書いているようなものだ。そして、そのシナリオの役者として、毎日の生活を演じている。これが、私の実行力の秘訣だ。

 文章力は人生を幸せにするスキルだ。ちょっと大げさではあるが、これは私の偽らざる本音である。

論理的な文章を書くための2つの原則

「論理的な文章とはどんな文章か」について明快に解説した本は、私が知る限りない。そこで、「論理的な文章とはどんな文章か」について、私の考えを書いてみる。

古賀史健著『20歳の自分に受けさせたい文章講義』には、論理破綻の例として以下の文章があげられている。

「企業のリストラが進み、日本の終身雇用制度は崩壊した。能力主義の浸透は、若手にとっては大きなチャンスでもある。若い世代の未来は明るい。学生たちは自信を持って就職活動に励んでほしい。」

この例文に続いて、このような論理破綻に気づくには、2文をつなぐ接続詞を考えてみるとよい、そうすれば、2文がまったく別の話をしている(論理がつながっていない)ことに気づくだろう、というアドバイスが書かれている。しかし、接続詞を考えなくても、論理破綻のない文章を書く簡便な方法がある。その方法を使って、上記の例文を改訂してみよう。

「企業のリストラを通じて、能力主義が浸透しはじめた。能力主義は、若い世代に活躍のチャンスを与えてくれる。若い世代の未来は明るい。学生たちは、明るい未来に希望を持って就職活動に励んでほしい。」

上記の例文と違って、文章のつながりが明確になったはずだ。改訂方法は簡単だ。前の文と次の文の間で、主語か術語(またはキーワード)を共有させればよい。

-企業のリストラを通じて、「能力主義」が浸透しはじめた。

-「能力主義」は、<若い世代>に活躍のチャンスを与えてくれる。

-<若い世代>の「未来」は「明るい」。

-学生たちは、「明るい」「未来」に希望を持って就職活動に励んでほしい。

この改訂例と異なり、原文では「企業のリストラが進み、日本の終身雇用制度は崩壊した。」「能力主義の浸透は、若手にとっては大きなチャンスでもある。」という2つの文章の間で共有されている単語がない。つまり、論理が完全に切れている。

三段論法を思い出してほしい。

AはBである。AはCである。したがって、BはCである。

AはBである。BはCである。したがって、AはCである。

このように、三段論法で書かれた文章では、前後の文の間で主語または術語が共有されている。このような三段論法の変形として文章を書くためには、前後の文の間で主語か術語(またはキーワード)を共有させれば良い。

一方、以下のような文章では、論理がすりかえられている。

AはBである。XはCである。したがって、AはCである。

たとえば、

「福岡市」は、<海に面して>いる。港を持つ都市は、一般に海運が盛んである。この一般則どおり、「福岡市」は海運で栄えている。

著者は、<海に面して>いる都市=港を持つ都市、と思い込んでいるが、実際には両者はひとしくない。このような「論理のすりかえ」は、主語か術語(またはキーワード)の共有関係をチェックすればすぐにわかる。

前の文と次の文の間で、主語か術語(またはキーワード)を共有させること。これが論理的な文章を書くうえでの第一の原則(必要条件)だ。

第二の原則は、個々の文章の内容が正しいことだ。

「企業のリストラが進み、日本の終身雇用制度は崩壊した」・・・この主張は正しくない。「企業のリストラが進み、日本の終身雇用制度は部分的には崩壊した」なら正しいが、「崩壊した」と断定してはいけない。この例のように、正しくないことを断定する行為を「強弁」という。「強弁」は詭弁の一種である(野崎昭弘著『詭弁論理学中公新書を参照)。詭弁を使ってはいけない。

現役東大生、西岡壱誠著『東大作文』には、以下の主張が書かれている。

「断言したほうが説得力がある」

これは典型的な強弁であり、論理的な説得力はない。私もつい語気が荒くなって強弁してしまうことがあるが、それは不誠実な行為だ。反省したい。

能力主義は若い世代に活躍のチャンスを与えてくれる」という主張も強弁の一種であり、能力主義はどの世代にも、活躍のチャンスも失敗の機会も与えてくれる。このような強弁を避け、すべての場合を尽くして考え、内容が正しい文章を書こう。

『理科系の作文技術』の文章は読みにくい

 段落の最初には、トピック・センテンスを置き、段落の最初の一文だけを飛ばし読みすれば、論理が追えるように書くべし。これは、私が『理科系の作文技術』(木下是雄著、中公新書)から学んだ文章作法です。しかし、本書を38年ぶりに読み返してみて、驚きました。『理科系の作文技術』の段落の最初の一文だけを読むと、論理がうまく追えないのです。

 『理科系の作文技術』第4章のトピック・センテンスに関する説明から、段落の最初を抜き書きしてみます。

-トピック・センテンスは、前節の二つの例文にみられたように、パラグラフの最初に書くのがたてまえである。

‐ここに示したのは各パラグラフのトピック・センテンスである。

‐本節の冒頭にトピック・センテンスはパラグラフの最初に書くのがたてまえと書いたが、現実の文章はそうなっているとはかぎらない。

‐私は、こと仕事の文書に関するかぎり、重点先行主義にしたがってトピック・センテンスを最初に書くことを原則とすべきだと考える。

‐最後に述べたことは定説ではない。

最初の4つの文はすべて「トピック・センテンス」に関する主張の羅列であり、論理的に構成されているとは言えません。そして最後は、「これは定説ではない」(私の独自の主張です)という断り書きで結ばれています

 これら5つの文章は、ひとことで言えます。「仕事の文書では、トピック・センテンスを段落の最初に書くべきだ。」たったこれだけの主張をするために、3ページも費やす必要はありません。

 次に、『理科系の作文技術』第8章「わかりやすく簡潔な表現」の冒頭の「文は短く」から、段落の最初を抜き書きしてみます。

‐仕事の文章の文は、短く、短くと心がけて書くべきである。

‐私の考えでは、本質的な問題は文を頭から順々に読み下してそのまま理解できるかどうかであって、すらすらと文意が通じるように書けてさえいれば、長さにはこだわらなくていい。

‐5.2節で逆茂木型の長い文ー読み返さないと判らない文の一つの典型ーの実例をあげ、それを短く切って書き直してみた。

‐筆者の頭の中でたまりにたまってはけ口を求めていた考えが一気にほとばしり出るとき、とかくこういう文がうまれやすい。・・・このような冒頭文がさらに続きますが、これくらいあげれば、もうおわかりでしょう。

 「わかりやすく簡潔な表現」ではありません。「文は短く」ありません。

 「トピック・センテンスを段落の最初に書く」「わかりやすく簡潔な表現を工夫する」などの本書の主張は文章作法の基本ですが、本書の文章はこれらの基本原則に忠実ではないようです。

 そこで『理科系の作文技術2.0』を書いて、もっとわかりやすく、論理的に、理科系の作文技術を解説してみたい。その素材となる文章を、休憩時間に書きためてみようと思います。次回は、論理的に書くとはどういうことかについて、説明する予定です。

『理科系の作文技術』から、私は38年前に文章を書く上での大事な原則を学びました。その後38年間、文章を書く中で考え、学んだことを整理して一般化してみたいと思います。先人の偉業を批判して、より良いものを作るのは、後輩のつとめでしょう。木下先生にもご理解いただけるように書いてみたいと思います。

 

瞬読書評『伝わる・揺さぶる!文章を書く』(山田ズーニー)

人に薦められる文章作法の本に、やっとめぐりあった。

山田ズーニー著『伝わる・揺さぶる!文章を書く』

プロローグで、高校生の作文の、改訂前と改訂後が紹介されている。

改訂前「私が切実に受け止めることと言ったら、自分の将来についてです。ひとまず私にとって今気がかりなのは、近い将来です。・・・」

改訂後「私にとって、今、切実なのは、PHSを持つことを親に許可してほしいということだ。そんなことが切実かと疑う人さえいるかもしれない。だが、理由がある。・・・」

この見違えるような改訂をしたのは、高校生本人。山田ズーニーさんのアドバイスを受けて、本人が考えて、改訂した。

この文章は、「問題としてあなたが切実に受け止めているのはどんなことですか。あなたの肚の中から発する言葉で述べなさい」という大学入試問題への解答として書かれたもの。著者は「ひとまず」「とりあえず」を600字の文章で連発した女子高校生に興味を持ち、わずか2時間の指導で、改訂後の文章を書くまでに本人を変えた。このミラクルな指導がどんなものかを具体的に知りたければ、『伝わる・揺さぶる!文章を書く』を買って読んでください。ここでは、エッセンスだけを紹介します。

このミラクルな指導のエッセンス、それは「自分で問いをつくって、自分にインタビューしてほしい」とアドバイスしたこと。え、それだけ? もちろん、これだけではありません。このひとことアドバイスにたどりつくまでの、著者の努力と熟慮、そのリアリティはここでは伝えきれません。ぜひ本を読んでください。

エッセンスは「問いを作り、自分で答えよう」という、文章作法のゴールデン・ルール。このように、エッセンスをひとことで表現すること、この「凝縮力」が良い文章を書くうえでとても重要なスキルです。そして、短い言葉にリアリティを与えるストーリー。このストーリーを「リアルに語る力」が、文章力のもうひとつの要。

続く第一章のレッスン1は、そもそも「いい文章」とは何か? という問いからスタート。これも文章作法の王道です。まず、問いを提示する。この「問いかけ力」がポイント。本書は、文章を書く際のポイントをよく抑えていて、すばらしい。

「いい文章」とは何か? この問いへの答えは、「機能する文章、結果を出す文章」。なっとくのいく答えですね。

第二章レッスン1のタイトルは、「論点とは何か?」。そして最初の文章で、「論点とは文章を貫く問いだ」、という答えがズバリと書かれています。バッターボックスに立ったとたんに、豪速球が目の前を通り過ぎて、ミットにズバッと収まった感じ。敵ながらあっぱれ。いや、敵じゃないんですけど。

次に、問いに答えるための7つの方法が列挙されています。

(1)自分の体験・見聞を洗い出す。

(2)必要な基礎知識を調べる。

(3)具体的事例を見る。

(4)別の立場から見る。

(5)海外と比較してみる。

(6)歴史を押さえる(背景)

(7)スペシャリストの視点を知る。

この7つは、ちょっと多すぎですね。どれもたしかに重要なポイントですが、私なら3つにまとめます。人間、すぐに理解できるのは3つまで、というのが私の経験則です。

(1)自分の体験・知識を洗い出す。

(2)調べまくる。

(3)自分とは反対の立場で考える。

このレッスンの最後に、「論拠をどう配列するか?」が書かれています。これも重要なポイント。著者のアドバイスは以下の5つ。

●優先順位の低いもの→高いものへ

●具体的な根拠→抽象度の高いものへ

●時間的配列(問題の背景→現在→将来)

●ミクロからマクロへ(個人の実感→社会問題→社会構造へ)

●賛否(賛成、反対の代表的意見の提示→両者の共通・差異点→そこから見える問題点)

ここでは書かれていませんが、空間的配列も大切。日本→世界、とか、アメリカ→ヨーロッパ→アフリカ→アジア、とか、北海道→本州→九州、など。当たり前のように思えるでしょうけど、物事を説明する順序に無頓着な文章って、結構多いんです。学生のレポートは、だいたい無茶苦茶です。他人に物事を説明するときには、順序に細心の注意を払うこと。物事を理解するって、面倒な作業なんです。説明するのはさらに面倒です。したがって、小学生に説明するつもりで、ひとつずつステップを踏んでいくことが大事です。

学生のレポートが無茶苦茶な理由は、教員に説明するという意識が低いからでしょう。教員は自分より知識が多いから、書けばわかってもらえる、と思っている。違うんです! と声を大にして言いたい。順不同で、飛躍した説明を読むのは苦痛です。それを、50枚も100枚も読むんだぜ。ちっとは教員の気持ちになって書いてくださいよ、と毎年、毎回言うけど、なかなか改善されないので、「レポートの書き方」を書こうと思っているわけです。

なお、『伝わる・揺さぶる!文章を書く』は、食事をとりながら「瞬読」しました。読むのにかけた時間は15分くらいでしょうか。長時間かけて良い本を書いてくださった著者には申し訳ないけど、私の時間がかなり限られているので、最近では多くの本を「瞬読」しています。そしてこのブログを早書きしています。

「速読」「瞬読」の技術にはいくつかありますが、得た知識をこのブログのようなアウトプットにまとめるのがひとつの有力な技術です。単に早く読むだけでは何も得るものはありません(これは、ほとんどの速読講座で教えてくれないポイント)。

 

 

「大学生に読んでほしいレポート」をさらに改訂してみた

先日紹介した新田さんのレポートはとてもよく書けていますが、大学生の授業レポートとしては課題もあります。そこで、「レポートの書き方」の注意点を解説するための実例として、改訂版を用意しました。

「遠くからはこんもりと緑色にしか見えない森林だが、近づくと違った色が見えてくる。アラカシの葉は艶やかな濃い緑、コナラの葉は爽やかな淡い緑だ。アカメガシワの新葉はその名のとおり鮮やかに赤い。森の中に一歩足を踏み入れると、そこは別世界である。腰を低くして地面に目をやると、落ち葉の上を奇妙な虫が歩いている。豆粒のような体に細い針金のような8本脚を持つザトウムシだ。ドングリの実のそばで、小さな白いキノコをみつけてうれしくなる。森林には、かくも多くの生物が暮らしており、しかもこれらの生物の間には、食べるー食べられる、落ち葉を分解して栄養素を作る、などさまざまな関係がある。これらの生き物たちの四季による変化も私たちを楽しませてくれる。森林は多様性そのものである。

 日本は多様な森林をもつ国である。日本列島は南北に細長く、山国であり、雨量が多い。このような気候や地形の違いを反映して、実に様々な森林が見られる。また、昔から人がどのように利用してきたかによっても、森林の性質は違うものになる。九大移転地周辺の森林は、常緑広葉樹林・落葉広葉樹林・スギやヒノキの植林と田畑や草地が入り組んだ、いわゆる里山の森である。それは、人々の生活に必要な薪や食料を生み出すだけでなく、水を保ち、小川を潤し、土砂流出防止にも役立ってきた森林である。森と水辺を行き来するニホンアカガエルやイシガメなどの多くの動物を育くんできた森でもある。

 近年、熱帯林の減少が地球温暖化を加速させている要因として社会の注目を集めているが、森林減少は熱帯林のみの問題ではない。日本においても、都市に隣接する里山の森林は、都市開発の拡大とともに、減少し続けてきた。このような森林減少のため、絶滅の危機に瀕している生物は少なくない。九大移転予定地でも、造成工事は森林の消失をともなう。生物多様性保全ゾーン整備基本計画によれば、用地内の32%を占めている森林(広葉樹林、針葉樹植林)の面積は14%に減少する。このような森林の減少は、種の絶滅をもたらしかねない。もちろん森林が減れば、森林に貯蔵されていた二酸化炭素が大気へと放出される。森林を失うことは深刻な問題であり、何らかの対策が必要とされる。

 そこで、九大移転予定地では「森林面積を減らさない」ことを目標に掲げ、造成法面や果樹園跡地に樹木を移植し、森林面積を回復させる保全事業が行なわれている。しかし、樹木を移植し、森林面積を確保すれば、森林の多様性は守られるのだろうか? 森林面積が確保されても、限られた種しか移植されなければ、多様性は大きく損なわれるはずだ。この課題に応えるために、九大の保全事業では三つの移植方法が工夫されている。そのうち一つは、森林をブロックに切り取って土壌ごと移植するという、世界でも例のない方法だ。ここでは、3つの方法による森林移植の現状を紹介し、移植地の林床回復について、課題と具体的な対策を考えよう。」

 改訂の大きなポイントは3つあります。ひとつは、アラカシ、コナラ、ザトウムシ、ニホンアカガエルなどの生物名を入れたこと。大学のレポートを書くうえでは、このような具体性を重視してください。エッセイとしては、新田さんの文章は十分に魅力的です。しかし、大学で学生に求めているのは、エッセイではありません。事実にもとづいて、具体的に状況や対象を説明した文章を求めています。

 森林は樹木から成り立っています。そこでまず、遠くから近づいて見えてくる樹木の種の違いを描写しました。そのうえで、森の中に入り、動物(ザトウムシ)に目を向ける、という流れで書きました。このように、ジャンプせずに順序だてて説明することは、レポートを書くうえで、基本的な作法です。

 森林を理解するうえでは、「森林」という概念だけでなく、そこに暮らす生物種についての具体的な知識をぜひ持ってください。伊都キャンパスの森林であれば、優先種のアラカシやアカメガシワくらいはぜひ知っておきたい。ニホンアカガエルカスミサンショウウオの成体が、水中ではなく森で暮らしていることも知ってほしい。このような知識を身に着けるうえで、いつも具体的に考える訓練をしましょう。

 「小さな虫」は、概念ですね。虫好きの小学生に「小さな虫」と説明すれば、「小さな虫って、どんな虫?」という質問が返ってくるのではないでしょうか。文章を書くときには、小中学生に教えるつもりで書く意識を持つことをお勧めします。「教えるように書く」・・・これは、わかりやすく、リアリティのある文章を書くうえでとても大切な姿勢です。

 上記の改訂版では、ザトウムシという生物名を書いて、「豆粒のような体に細い針金のような8本脚を持つザトウムシ」という具体的な記述を加えました。このように、名前を知り、形態を観察し、より具体的に理解することが大切です。レポートを書くという作業は、このように、対象について具体的に理解を深める作業なのです。これは、生物が対象の場合だけでなく、物理現象、化学反応、歴史や文化、地理などを対象にする場合も同様です。ファクトにもとづいてリアリティを追求しましょう。

 第2のポイントは、「しかし、樹木を移植し、森林面積を確保すれば、森林の多様性は守られるのだろうか?」という疑問文(クエスチョン)を加筆したことです。大学でみなさんにとくに学んでほしいものは、問いを立て、それに答えるスキルです。レポートを書くうえでは、必ず「問い」を立てましょう。

 「九大の保全事業で行われている三つの移植の現状を紹介し、移植地の林床回復について、課題と具体的な対策を考えよう」(新田さんの原文)という文章を読んでも、私たちの脳内で疑問は提起されないので、ただなんとなく、読んでしまいます。

 「しかし、樹木を移植し、森林面積を確保すれば、森林の多様性は守られるのだろうか?」と問いかけられると、私たちの脳は、問いに答えようとします。その結果、思考が活発になるのです。一般的な問いだけでなく、さらに具体的な問いを続けると、思考がさらに活発になります。たとえば、「土壌ごと移植するという、世界でも例のない方法だ」に続けて、「土壌ごと移植することは、多様性を守るうえでどのくらい効果があるのだろうか?」と書けば、「どのくらいか」が気になりますね。

 科学とは、問いをたてて、その問いに答える行為です。レポートを書く際に、問いをたてて、それに答える形で文章を書く訓練を積むことで、科学的な思考力が身に付きます。

 第3のポイントは、「生物多様性保全ゾーン整備基本計画によれば、用地内の32%を占めている森林(広葉樹林、針葉樹植林)の面積は14%に減少する」という記述を第4段落から第3段落に移したことです。この文章は、第3段落での「九大移転予定地でも、造成工事は森林の消失をともなう」という指摘をより具体的に説明したものです。このように、関連している内容は、遠くに離さずに続けて説明しましょう。

※このような解説を、少しづつ書き溜めて、「レポートの書き方」のテキストを作りたいと思います。

 

文章が苦手な大学生に読んでほしいレポート

大学教員を長年つとめて残念に思うのは、多くの大学生のレポートが雑なことです。

マルハナバチの写真がかわいかったです。キャンパス内にいるそうなので、探してみたいと思います。」

あのね、感想文を書いてほしいんじゃないんだよ。講義で学んだことに、コメントを書いてほしいわけ。コメントと感想は違うんです。コメントとはね・・・。

という説明を毎年やっています。

今日は、私がまだ一年生の教育に時間を割く余裕があった時代の成果を紹介します。

「九大新キャンパスにおける森林と水辺の生物の保全」という全学共通ゼミで、レポートのドラフトを、受講生に改訂を重ねてもらいました。そのゼミのレポートが、いまでも私のウェブページに掲載されています。

http://seibutsu.biology.kyushu-u.ac.jp/~ecology/yahara/NewCampusSeminar.html

2001年度のトップに掲載されている新田梢さんのレポートから、「はじめに」を引用します。

<遠くからはこんもりと緑色にしか見えない森林も、一歩足を踏み入れるとそこはわくわくする別世界である。ちょっと腰を低くして地面に目をやると、落ち葉の上を虫が歩いているし、ドングリなどの木の実やキノコをみつけてうれしくなる。森林には、樹木・林床植物・小動物・鳥・昆虫・土壌中の微生物など、実に多くの生物が暮らしており、しかもこれらの生物の間には、食べるー食べられる、受粉や種子散布を助ける、落ち葉を分解して栄養素を作る、などさまざまな関係がある。これらの生き物たちの四季による変化も私たちを楽しませてくれる。森林は多様性そのものである。

日本は多様な森林をもつ国である。日本列島は南北に細長く、山国であり、雨量が多い。、このような気候や地形の違いを反映して、実に様々な森林が見られる。また、昔から人がどのように利用してきたかによっても、森林の性質は違うものになる。九大移転地周辺の森林は、常緑広葉樹林・落葉広葉樹林・スギやヒノキ植林などであり、いわゆる里山に特徴的な森林である。それは、人々の生活に必要な薪や食料の確保だけでなく、糸島地域の保水や土砂流出防止などに役立ってきた森林であると思う。また、田畑や草地、川、海といったこの地域の自然とセットで多くの生物を育んできただろう。

しかし、近年これらの森林は減り続けている。最近、森林は二酸化炭素の吸収源、貯蔵庫として注目を集め、特に熱帯林の減少は地球温暖化を加速させていると考えられている。しかし、森林減少は熱帯林のみの問題ではないのだ。日本においても、都市に隣接する里山の森林は、都市開発の拡大とともに、減少し続けてきた。このような森林減少のため、絶滅の危機に瀕している生物は少なくない。九大移転予定地でもこのような問題は例外ではなく、造成工事は森林の消失をともない、種の絶滅をもたらしかねない。多様な役割をもつ森林を失うことは深刻な問題であり、何らかの対策が必要とされる。

そこで、九大の保全事業の目標の一つに挙げられたのが、「森林面積を減らさない」ことである。造成によって森林面積が一時的に減少することは避けられない。計画では用地内の32%を占めている森林(広葉樹林、針葉樹植林)の面積は14%に減少する(生物多様性保全ゾーン整備基本計画)。この代償措置として、造成法面や果樹園跡地などに、樹木や苗木を移植し、森林面積を回復させる取り組みが行なわれている。しかし、ただ木を植え、森林面積を確保すれば良いと言う訳ではない。種の多様性の保全と言う点から、以前より質の良い森林の復元が必要である。ここでは、九大の保全事業で行われている三つの移植の現状を紹介し、移植地の林床回復について、課題と具体的な対策を考えようと思う。>

読みやすく、新田さんの森林への思いや理解、問題意識がよく伝わる文章です。段落構成・論理もしっかりしており、最後にはこのレポートでとりあげる課題が明快に提示されています。その他のレポートも、力作揃いなので、ぜひご一読ください。

実はいま、大学一年生向けに「レポートの書き方」を教えるわかりやすいテキストを構想中です。この本では、まず新田さんらのレポートを紹介して、大学一年生に「こんなレポートを書けるようになりたい」という目標を示したいと思います。

「レポートの書き方」については、たくさん本が出ています。またいくつかの大学のウェブサイトに、一年生向けのテキストが置かれています。しかし残念ながら、大学一年生に推めたいと思えるテキストがないのです。何よりもまず、学生が書いた良いレポートの例がないので、どんなレポートを書けばよいのかイメージできません。また、細かな技術や作法の説明が多くて、読んで楽しくありません。

文章力は、繰り返し書く経験を積んではじめて上達するスキルです。技術や作法の説明をいくら読んでも上達しない。デッサンや楽器の演奏と一緒です。

「レポートの書き方」という本を書くなら、まず「こんなレポートを書いてみたい」という目標を最初に示すのが良いと考えています。