アイの歌声を聴かせて

※映画の前半のネタバレがあります。

 

「竜とそばかすの姫」を観終わったときのモヤモヤに比べ、鑑賞後の納得感、満足感、幸福感が高くて、すばらしい作品。ぜひ多くの人に観てほしい映画だ。「竜とそばかすの姫」は母親の死をきっかけに心を閉ざしていた主人公のすずが、デジタル世界Uでの経験を通じて成長していく物語で、すずにはとても共感できる。しかし、すずをとりまく友人や大人たちは成長しないし、人間としての魅力がいまひとつ足りない。そこが「竜とそばかすの姫」の大きな課題だったことが、「アイの歌声を聴かせて」を観て良くわかった。

「アイの歌声を聴かせて」では、主人公のサトミとその幼馴染のトウマ、友人のゴッちゃん、アヤ、サンダーの5人がそれぞれに悩みや課題を抱えている。その5人が、AI女子高生であるシオンの変な行動に振り回されながら、悩みや課題を克服し、成長していく。5人がそれぞれに魅力的であり、5人の心が通い合っていくストーリーにはとても共感できる。柔道の試合に負け続けていたサンダーが、シオンとの稽古のおかげで初めて試合に勝ち、サトミの提案で高校を休んで、サトミの家で祝勝会を開くまでの流れは、青春映画としてとてもすがすがしい。サトミとトウマ、ゴッちゃんとアヤがシオンの仲立ちで距離を縮めていくロマンスに心がときめくほど若くはない私だけど、その私が観てもほっこりする物語だ。

しかし、祝勝会後に校外を歩いているシオンが目撃され、シオンは製造元である星間エレクトロニクス社に回収されてしまう。大切なシオンを失った5人は絶望の淵に立たされる。絶望に追い込まれたのは5人だけではない。シオンの開発をリードしていたのはサトミの母親であり、彼女はプロジェクトを失い、ワインをあおってサトミにもつらくあたってしまう。「話しかけないで、言葉を選ぶ自信がないから・・」と母親に拒まれ、シオンを失い、サトミは自分がしでかした失敗のあまりの重大さに打ちひしがれ、泣き叫ぶ。この絶望的な状況からどう物語が展開するのか、まったく予想できなかった。その後のストーリーはネタバレできない。ぜひ映画館で観てほしい。AIであるシオンが高校に転校してすぐに歌いだし、「サトミを幸せにする」という変な発言をしたナゾが解きあかされ、クライマックスへと続くシークエンスは見事。心を揺さぶられた。ぜひ映画館で観て、泣いてください。最後の展開は現実にはあり得ないが、AIファンタジーとしてのこの作品世界の中では、納得できる結末。

「竜とそばかすの姫」を観たばかりなので、どうしても比べてしまう。どちらも女子高生が主人公であり、歌が軸になっていて、デジタル空間やAIが世界観を形作っている映画だ。「竜とそばかすの姫」はJin Kimがデザインを担当したBelleの魅力的なキャラクター、仮想空間Uの圧倒的なビジュアル、そして中村佳穂さんの達人的な歌が観客の心をわしづかみにする「尖った映画」だ。一方の「アイの歌声を聴かせて」には、そういう尖ったところがあまりない。しかし、鑑賞後の満足感は高いし、あとからじわじわくる映画だ。機会があればぜひもういちど観たい。

鑑賞後のTwitterで<映像と歌では「竜とそばかすの姫」に及ばないがストーリーはずっと良かった。AIシオンが回収されてしまった後の展開は全く予想できなかったが見事に心を揺さぶられた。前半の不自然な伏線を全て回収する展開はすばらしい。土屋太鳳のAI演技は絶妙。歌も良い。>と書いた。最初は「歌では及ばない」と書きながら、最後には「歌も良い」と矛盾したことを書いている。その理由を考えみて、中村佳穂さんの歌と土屋太鳳さんの歌がまったく違うものであることに気付いた。

中村佳穂さんはささやくようなはかなげな歌声と、のびのある力強い歌声を柔軟に使い分ける技を持つプロの歌手だ。その歌唱力はすばらしくて、上級者がいくら努力してもたどりつけない達人のすごさを見せつけてくれる。一方の土屋太鳳さんは俳優であり、AIの声を演じ、そしてAIの歌声を演じている。だから、中村佳穂さんのように感情をほとんど歌声に乗せていない。しかし、プログラムされたAIだからこそのまっすぐさ、一途さ、純粋さをとてもうまく演じている。土屋太鳳さんの歌は演技なのだ。「ごはんが、炊けました」のような合成音を研究して、AIらしい声を工夫したというインタビューを鑑賞後に見て、なるほどそうだったのかと納得した。努力家の土屋さんらしいエピソードだ。「約束のステージ」での、感情をたっぷりこめた歌い方とは全く違っていた。

その土屋太鳳さんの(AIシオンの)歌声が、この映画の軸になっていることは間違いない。土屋さんは歌手としては達人ではないが、演技者としてはやはり達人なのだ。悩んだりためらったりしないAIだからこそのストレートな歌を、うまく演じて歌っている。最初にサトミに呼びかけて歌う「You need a friend~あなたには友達が要る~」(フルバージョン)は、タイトルどおりのストレートな歌詞。「あなたはいま幸せかな? 教えてほしいな」に始まり、「友達がほしいって言わなくちゃ」と続く。この歌詞どおりの嘘のない行動が、サトミたちを変えていく。

中盤、サトミとトウマが手をつなぐシーンで歌われるそのアンサーソングYou've Got Friends~あなたには友達がいる~」は、同じメロディだが、もっとゆっくりとしたテンポで歌われる。歌詞は「あなたはいま幸せかな? 教えてあげるね」に始まり、「誰だって誰かのことを照らしてあげる光だから」と続くものに変えられている。土屋太鳳さんの(AIシオンの)歌い方も、友だちになれたことを祝福する歌い方に変わっている。さきほど「感情を歌声に乗せていない」と書いたが、AIシオンのまっすぐなやさしさはしっかり伝わる歌い方だ。雨の中に立ちすくむゴッちゃんとアヤの誤解を洗い流して心を仲立ちするときにうたう「Umbrella」もやさしい名曲。一方, 負け続きのサンダーに柔道の稽古をつけるときにうたう「Lead your partner  」はジャズ調の軽快な曲。土屋太鳳さんはそれぞれに歌い方を工夫して、AIシオンを見事に演じて歌っている。土屋太鳳さんの歌の演技がこの映画の完成度に大きく寄与しているのは間違いない。

吉浦康裕監督のことはまったく知らなかったのだが、福岡市の出身で、しかもなんと九州芸工大(いまの九大芸術工学部)の出身とのこと。AIが生み出す未来へのポジティブな考えと、誰一人悪人を登場させない作風は、とても好きだ。「アイの歌を聴かせて」はまだ大ヒット作とは言えない状況だが、twitterでは「#細かすぎて伝わらないアイの歌声を聴かせてのここが好き選手権」というハッシュタグが作られて、幸せな感想を交流する場がひろがっている。さらに口コミでこの作品の魅力が伝わり、ロングランになることを祈りたい。

この作品は間違いなく次につながる名作だ。吉浦康裕監督の次回作が楽しみだ。

付記:映画の後半では、劇中アニメ「ムーンプリンセス」が登場し、その主題歌「Feel the moon light~愛の歌を聴かせて~」が流れる(この歌を歌っているのはプロ歌手の咲妃みゆさん)。このアニメがシオンの行動の謎と関わっている、と書いても、映画を観るまでストーリーは予想できないだろう。