花開童子

「日本三大修験山」のひとつに数えられる福岡県の英彦山。その麓に、「吉木の山桜」として知られる大きなヤマザクラの古木がありました。樹齢300年と推定され、その長い寿命を通じて、地域の人たちに愛された木でした。2017年7月の九州北部豪雨は何とか耐え抜いたのですが、その後9月の大雨でついに幹が倒れ、その堂々とした姿は失われてしまいました。この「吉木の山桜」の材を使って、復興のシンボルとなるモニュメントを作るプロジェクトが進んでいます。

そして、「吉木の山桜」の材を使った彫刻「花開童子」(はなびらきどうじ)がこのたび完成しました。九州大学芸術工学部知足(ともたり)美加子准教授の労作です。

知足先生によれば花開童子は「英彦山の49窟のうちの第19窟『花園窟』の守り神」とのこと。豪雨災害の影響で添田~夜明け駅間が通行止めとなっている日田彦山線の開通祈願のため、JRひこさん駅に設置されるそうです。花開童子の柔らかいまなざしは、日田彦山線沿線や、朝倉の方々の心を温め続けてくれそうです。

古くから日本人に愛されてきたヤマザクラ万葉集には山部赤人の歌

あしひきの 山桜花日並べて かく咲きたらばいたく恋ひめやも 

をはじめとして、桜を読んだ歌が40首ほどありますが、その多くはヤマザクラを歌ったものでしょう。ヤマザクラは明るい場所を好む里山の桜であり、薪炭林として利用されてきた林にはとくに多く、葉が目立ちはじめた春先の森に桜色の彩りを添えます。その様子は、「山笑う」という俳句の表現がぴったりです。

「吉木の山桜」の命は、知足先生の手で「花開童子」に伝えられ、これからも多くの人に見守られていくことになりました。これに加えて、生きたヤマザクラの木も、もういちど300年かけて育っていくことを願いたいと思います。

また、九州北部豪雨で大きな被害を受けた朝倉の山林で、ヤマザクラの木が芽生え、「山笑う」森が再生することを願っています。