春を生んだ里山
先日見た記事によれば、日本の良いところについてのアンケートの一位が、四季があること、だったそうです。多く人が都会で暮らす現代の日本でも、春夏秋冬の季節の変化を愛でる心根が生きていることを知って嬉しく思いました。
でも、季節の変化を四季、春夏秋冬に分ける文化は、いつ頃始まったのでしょうね。分類学という研究をしているので、四季という分類のルーツが気になります。
たしか、古事記には春の記述がなかったはず、と思って「古事記」「四季」で検索してみると、やはりそうでした。古事記には、「夏」「秋」「冬」という漢字は使われていますが、「春」は使われていません。そもそも古事記には、春夏秋冬の記述がほとんどないのです。→季節のない神話(三浦祐之)
オオクニヌシが高志のヌナワカヒメに求婚したときの歌「青山にヌエは鳴きに鳴きぬ」に歌われたヌエはツグミだと解釈されており、これは春の歌だと考えられています。「青山」も春の新緑の山を表現しているのでしょう。しかし、春という言葉は使われていません。→古事記の季節(小出一冨)
春は駆け足で過ぎていきます。木々が目立ち、桜が咲くのは、福岡であれば4月上旬です。下旬になれば、菜種梅雨がもたらす雨の中で青葉がぐんぐん茂り、あっという間に初夏を迎えます。福岡では、一か月ほど春を感じることができますが、札幌の春はさらに短い。
春は四季の始まり。木々が芽だち、とても心踊る季節ですが、古事記の時代の日本人にとっては、夏の始まりと見なされていたのかもしれません。
万葉集の時代になると、春という言葉が使われ、春の歌がたくさん歌われました。この変化は、稲作と里山の拡大を反映しているのでしょう。人間が田を開き、原生林を里山の森に変える中で、桜が点在する、春の山が生まれたのだと思います。
都会に暮らすみなさん、春には里山に出かけて、昔ながらの春を楽しんで見ませんか?