『バズる文章教室』ゲット

とりあげられている文章のメニューはきっと48だと予想して数えてみたら、何度数えても49あります。AKBファンを公言している三宅さんの本だから、きっと48あると思っていたら、予想を裏切られました。でも一つ違いだから、きっと48を意識していましたよね。

どうして49なのか、その理由について、3つの仮説を思いつきました。

(1)手あかにまみれた48という数字への、ささやかな抵抗。

(2)実はSexy Zone佐藤勝利のファンでもある。

(3)うっかり49書いて、どれも削るのが惜しくて、全部採用した。

てな感じで、自分らしく、楽しく、文章を書きましょう、というのがこの本のメッセージ。

この本は、一言で言えば、文体品評会。文体は、書く人ひとりひとりで、こんなにも違うんだ、ということがよくわかる本です。そして、それぞれの文体についての著者の観察が面白い。その面白さの内容については、つ・づ・く。昼休みが終わりました。

「理科系の作文技術2.0」を書いてみたい

屋久島滞在中も、帰路も、「Decision Science for Future Earth」というタイトルの総説の英文原稿を書き続けています。この総説は、地球環境問題を含む人間社会の諸問題の解決において、人間の意思決定に関する自然科学・社会科学を統合した科学(Decision Science)がいかに有効かについて、多岐にわたる論文を引用して論証した力作です。決断科学大学院プログラムで、環境・災害・健康・統治・人間という5つのテーマの下で、さまざまな分野の若手研究者から学んだ知識をもとに、書き進めています。「決断科学のすすめ」に書いたアイデアを発展させて、先行研究をレビューしながら論理的な整理を進め、2年間かけて書き進めてきました。仕上げ段階のいまは、執筆チームの若手研究者と頻繁にミーティングを持ち、論理を整理しながら書き進めています。

このような総説を書くうえで決定的に重要になるのが、文章力です。もちろん、小説やエッセイを書く文章力ではなくて、論理的な文章を書く力です。自然科学の観察や実験結果をもとに論文を書くレベルよりもずっと高度な文章力が要求されます。40年をこえる研究者生活を通じて文章力の向上に努力してきた結果、ようやく「Decision Science for Future Earth」というような学際的なテーマについて、コンセプト論文と言われるような総説を書けるだけの文章力を身に着けました(まだまだ修行中ですが)。

文章の書き方に関する本をたくさん読みましたが、残念ながら参考になった本はほとんどありません。英文の論文や総説を読みながら、そして書きながら、試行錯誤で自分なりの作文スキルを磨いてきました。そうやって磨いたスキルをほかの人にも伝えられるように整理して、「理科系の作文技術2.0」という本を書く構想をしばらく前から練っています。

「理科系の作文技術」はおそらく、論理的な作文技術に関してもっとも広く読まれている本だと思います。しかし、私が論文や総説を書く経験の中で、この本が役立ったことはあまりありません。それは分野の違いのためかもしれません。もしそうであっても、私が試行錯誤で見出したスキルが役立つ分野は、きっとあることでしょう。

論理的な文章を書くという点では、理系・文系の区別は本来ないはずです。「理科系の作文技術」が広く読まれているので、「理科系の作文技術2.0」というタイトルをとりあえず考えていますが、タイトルは変えるかもしれません。

使える時間は限られているので、このブログで関連記事を書いて、私が使っているテクニックを少しずつ整理していこうと思います。

いま博多に向かう新幹線車中。「まもなく熊本に着きます」というアナウンスが流れたところです。上記の論文執筆を中断して、大学院生の原稿を読んで、作文技術をなんとか伝授したいという思いが強まり、この記事を書きました。

帰宅したら、三宅香帆さんの『バズる文章教室』が届いているはず。楽しみですが、たぶん「理科系の作文技術2.0」で書こうとしている内容とはほとんど重複しないでしょうね。

「花はなぜ美しいか」という文章の書き出しを考えてみた

ヤマザクラ、フジ、アジサイネムノキ・・・。四季を通じて、色とりどりの花が咲き続ける。この花のリレーの舞台裏で、花と昆虫の密かなバトルが繰り広げられていることを、多くの人は知らない。

三宅香帆さんの新刊『バズる文章教室』の販促企画として、「書き出しだけ大賞」という面白い企画をやっているので、私も3題ほど考えて参戦してみました。やってみてすぐに、最初の一文だけで読者の目をキャッチする文章を、私はあまり書いていないことに気づきました。

私は小説家でもエッセイストでもなく、ファクトで語りたい科学者なので、一文だけでは伝えたいことが伝えきれないんです。導入には、どうしても文章3つはほしい。冒頭の3つの文章は、その一例として書いてみました。キャッチーさは足りないかもしれないけど、花に関心がある読者には、読んでみようと思ってもらえる書んじゃないかな。

三宅香帆さんの新刊『バズる文章教室』が書かれる発端になったのは、

大学院生がアイドルから学んだ「読んでて楽しい文章」を書くためのセブンルール

https://m3myk.hatenablog.com/entry/2018/05/22/222515

という記事のようです。

このセブンルールにのっとって、私の文章を自己評価してみますね。

①書き手の表情がわかりやすいこと

 たぶん、わかりやすいと思いますよ。ただし、まじめな表情をしていることが多い。ときどき、熱弁をふるう。たまに、ゲゲゲ、とか言います。

②読み手をひとり決めること

 読者はつねに意識していますが、結果として読者層が絞られることも多いですね。

③カメラに抜かれそうなキャッチーな言葉を入れること

 控えめです。予算をとるために「決断科学」なんていう言葉を考え出した前科がありますが、基本は控えめ。自然ネタの場合、内容の意外性を軸にしてストーリーを作ることが多いので、カメラに抜かれる勝負どころは、内容の意外性。「花と昆虫の密かなバトル」程度のレトリックは工夫します。

④ありきたりな言葉で隠してないか確認すること

 いつも私にしか書けないことを書くように意識してます。科学者はオリジナリティ命。

⑤できるだけ短く書くこと

 意識してますが、長くても読んでくれる読者を想定して書くことがしばしば。

⑥自分が書いてて楽しいと思えるものを書くこと

 読者に楽しんでほしいときにはもちろんそうしますが、職業柄、批判的なことを書かざるを得ないときもある。そのときは建設的であることを肝に銘じます。

⑦愛があること♡

愛にあふれてます。植物とか、科学への愛ですが。(ももクロ愛があるという説も)

というわけで、結局、自分の流儀で書いていく以外に、道はなさそうです。

センスメイキングを明識化と訳そう

週末2日かけて、"Decision Science for Future Earth"という2年がかりで書いている論文の新しいパートを書こうとしましたが、頭の中のもやもやが晴れず、文章化はほとんど進まないままに終わってしまいました。Future Earthプロジェクトの最終報告書を月末に提出する必要があり、もう待ったなし、危急存亡、絶体絶命の事態を迎えていますが、書けないものは書けないよ。風呂に入ってリラックスしようとしても、「書かなくちゃ」という意識ばかりが先走って、すぐに風呂からあがろうと体が動いてしまう。瞑想しても、意識を抑え込めません。

こういう時に、頭を休める手段があるかどうかは、大事ですね。昨夜は、東京キネマ倶楽部開催『「MOMOIRO CLOVER Z」 SHOW』ストリーミング特別配信を観てから、さっさと寝ました。今朝起きてから、もやもやが少し晴れて、文章が動き始めました。今日はかなり先に進めそうです。

最近、センスメイキング、という言葉を知りました。Wikipediaにすでに解説があります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0

しかし、読んでも何やら意味がよくわかりませんね。It does not make sense!

「センスメイキング」は、もやもやが晴れる、何が問題かがはっきりつかめる、何を書くべきかが明確になる、そんな感じをうまくあらわす表現だと思います。

和訳をいろいろ考えた結果、「明識化」という表現を思いつきました。

さあ、これから「明識化」した内容をさっさと文章化します。

三宅香帆さんの『バズる文章教室』

三宅香帆さんの『バズる文章教室』、買うかどうか迷っていましたが、「この本も私にとっては文体批評の本だし、でも文体批評ってふつーに書いてるだけじゃ他人に届かないし。そんなわけでこんなポップなタイトルになったのでした。」というご本人のツイートを読んで、つい注文してしまいました。

文章教室には興味ないけど、三宅さんの文体批評は面白そう・・・と思ってぽちったので、ツボに落ちたかも。

文章の書き方の本はたくさん読んだけど、私がためになったのは一冊だけ。本多勝一さんがたしか『日本語の作文技術』に書かれていた、文章教室の生徒に、受講したかったら原稿(400字詰め50枚だったか、もっと多かったかも)書いてこいと要求した、というエピソード。これには激しく納得しました。とにかく、書きたいことがなければ、書けませんよね。文章を書けるようになる秘訣は、書きたい、伝えたいと思うエピソードを毎日見つけながら暮らせるかどうか、だと思います。

それから、文章を磨くには、自分で何度も書くしかないんですよね。ほかの人の文章を読んで、この表現いいなと思ったら、マネをしてみる。いろんなマネをしながら、自分なりの書き方を見つけていけば良いと思います。

三宅香帆さんの文章は、最初読んだとき、ひさびさに衝撃を受けました。

最初に読んだのは、これ↓です。

元号「令和」に変わる前に読みたい!『万葉集』初心者のための本

https://cakes.mu/posts/25194?fbclid=IwAR3lknMEDaBp7N8VT-R8acvQmzNNZ_z2UHtdSgC38GrIx-Y_nE8Zhmr-Cys

リズムもテンポも良くて、センスが新鮮。俵万智さんの『サラダ記念日』を読んだときのような新鮮さを感じました。

さらに、『万葉集』初心者のための本のトップに、

『天上の虹1~11』里中満智子講談社漫画文庫)

をあげる大胆さ(妻がマンガ好きなので、わが家に全巻あります)。

2番目に順当に中西進さんの本をあげてから、3番目に意表をつくリービ英雄。『萬葉集』について大学院で研究されたとはいえ、この選書センスには、ただものではない感がただよっています。

ぜひウチ(九大決断科学大学院プログラムなる怪しげな名前のまじめなコース)でお話いただけないかとお願いし、8月下旬に来ていただけることになりました。ウチにはサブカルチャー研究会という大学院生の自主的活動グループがあり、そのサブカル研が企画を練っています。お話を直接うかがえるのが楽しみ。

ちなみに、私は「バズる文章」が苦手。読者に届けるにはもっと工夫が必要だよねぇ、と三宅さんの文章を読んで思ってみるものの、証拠にこだわる科学者なので、性懲りもない文章しか書けそうにありません。

大伴旅人に贈られたセンダン(あふち)の歌

f:id:yahara:20190525162442j:plain今朝、伊都キャンパス内のセンダンの木を見に行ったら、はやくも花がピークを過ぎていました。先日、妻を亡くした大伴旅人に贈られた卯の花ホトトギスの歌を紹介しましたが、同じ時期に、山上憶良はセンダンの歌を傷心の旅人に贈りました。

妹が見し あふちの花は散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに

「あふち」はセンダンの古い名です。当時、センダンは畿内の人にはなじみのない植物だったはずです。山上憶良大伴旅人とともに、太宰府に勤務してセンダンの花を知ったことでしょう。中央政府から弔問に来た石上堅魚が「卯の花ホトトギス」という定番のテーマで歌を詠んだのに対して、太宰府の歌仲間である山上憶良は、この土地ならではのセンダンの花を歌に詠んで、大伴旅人を慰めたのでしょう。山上憶良はなかなか気の利く人物だったようです。

授業レポートへのダメ出し

今日の授業を受講した大学院生のレポートを読み、コメントを返している。以下は、私の要求に応えていないレポートにダメ出しをして、再提出を求めたケース。以下に書いた点は、大学一年生のときに徹底して教えたい内容だ。しかし、大学院生に対してこのコメントを書かなければならない現実がある。しかし大学院生だから、これだけ書けば、次のレポートではきちんと修正されるでしょう。
 
<私は、 「授業で学んだ内容を要約し、その内容についてコメントする」ようにお願いしました。この手続きは、科学において議論をする場合の基本です。〇〇くんのレポートでは、コメントの対象となる要約がなく、ただ自分はこう思う、という主張だけが書かれています。このような主張をすると、科学におけるロジカルな議論が成り立ちません。
 
科学における議論では(実は科学に限りませんが)、まず相手が示した内容を正確に理解し、その理解に対して質問をしたり、別の見方を提示したりする必要があります。別の見方を提示する場合には、コメントする相手の見方ではなぜ不足なのか、新たな見方にはどんな根拠があるかを示す必要があります。
 
「授業で学んだ内容を要約し、その内容についてコメントする」 ようにお願いしたのは、この手続きについて学んでほしいと考えたからです。
 
以上のコメントを考えに入れて、レポートをもういちど送ってください。 >