三宅香帆さんの『バズる文章教室』
三宅香帆さんの『バズる文章教室』、買うかどうか迷っていましたが、「この本も私にとっては文体批評の本だし、でも文体批評ってふつーに書いてるだけじゃ他人に届かないし。そんなわけでこんなポップなタイトルになったのでした。」というご本人のツイートを読んで、つい注文してしまいました。
文章教室には興味ないけど、三宅さんの文体批評は面白そう・・・と思ってぽちったので、ツボに落ちたかも。
文章の書き方の本はたくさん読んだけど、私がためになったのは一冊だけ。本多勝一さんがたしか『日本語の作文技術』に書かれていた、文章教室の生徒に、受講したかったら原稿(400字詰め50枚だったか、もっと多かったかも)書いてこいと要求した、というエピソード。これには激しく納得しました。とにかく、書きたいことがなければ、書けませんよね。文章を書けるようになる秘訣は、書きたい、伝えたいと思うエピソードを毎日見つけながら暮らせるかどうか、だと思います。
それから、文章を磨くには、自分で何度も書くしかないんですよね。ほかの人の文章を読んで、この表現いいなと思ったら、マネをしてみる。いろんなマネをしながら、自分なりの書き方を見つけていけば良いと思います。
三宅香帆さんの文章は、最初読んだとき、ひさびさに衝撃を受けました。
最初に読んだのは、これ↓です。
新元号「令和」に変わる前に読みたい!『万葉集』初心者のための本
https://cakes.mu/posts/25194?fbclid=IwAR3lknMEDaBp7N8VT-R8acvQmzNNZ_z2UHtdSgC38GrIx-Y_nE8Zhmr-Cys
リズムもテンポも良くて、センスが新鮮。俵万智さんの『サラダ記念日』を読んだときのような新鮮さを感じました。
さらに、『万葉集』初心者のための本のトップに、
をあげる大胆さ(妻がマンガ好きなので、わが家に全巻あります)。
2番目に順当に中西進さんの本をあげてから、3番目に意表をつくリービ英雄。『萬葉集』について大学院で研究されたとはいえ、この選書センスには、ただものではない感がただよっています。
ぜひウチ(九大決断科学大学院プログラムなる怪しげな名前のまじめなコース)でお話いただけないかとお願いし、8月下旬に来ていただけることになりました。ウチにはサブカルチャー研究会という大学院生の自主的活動グループがあり、そのサブカル研が企画を練っています。お話を直接うかがえるのが楽しみ。
ちなみに、私は「バズる文章」が苦手。読者に届けるにはもっと工夫が必要だよねぇ、と三宅さんの文章を読んで思ってみるものの、証拠にこだわる科学者なので、性懲りもない文章しか書けそうにありません。
大伴旅人に贈られたセンダン(あふち)の歌
今朝、伊都キャンパス内のセンダンの木を見に行ったら、はやくも花がピークを過ぎていました。先日、妻を亡くした大伴旅人に贈られた卯の花とホトトギスの歌を紹介しましたが、同じ時期に、山上憶良はセンダンの歌を傷心の旅人に贈りました。
妹が見し あふちの花は散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに
「あふち」はセンダンの古い名です。当時、センダンは畿内の人にはなじみのない植物だったはずです。山上憶良は大伴旅人とともに、太宰府に勤務してセンダンの花を知ったことでしょう。中央政府から弔問に来た石上堅魚が「卯の花とホトトギス」という定番のテーマで歌を詠んだのに対して、太宰府の歌仲間である山上憶良は、この土地ならではのセンダンの花を歌に詠んで、大伴旅人を慰めたのでしょう。山上憶良はなかなか気の利く人物だったようです。
授業レポートへのダメ出し
万葉集に記録されたホトトギスの托卵
昨日、卯の花の記事を書くために、卯の花を詠んだ万葉集の歌を調べていたところ、なんとホトトギスの托卵が歌われていることに気づきました。
万葉集巻第九(1755)
鴬の 卵の中に、霍公鳥(ほととぎす) 独り生れて、斯が父に似ては鳴かず、斯が母に似ては鳴かず、卯の花の 咲きたる野辺ゆ、飛びかけり来鳴きとよもし、 橘の 花を居(ゐ)散らし、ひねもすに鳴けど聞きよし、 賄(まひ)はせむ。遠くな行きそ。我が宿の 花橘に 住み渡り鳴け。
鴬の卵の中で、郭公(ほととぎす)がたった一疋生まれて、その父親に似た声でも鳴かず、その母親に似た声でも鳴かず、全く別の声で鳴き、卯の花の咲いている野の中を辺を動かすまでに、大きな声で鳴いて、橘の花をば、止まったために散らしてしもうて、一日の間鳴いてはいるが、聴いているのに心持ちがよい。お前に駄賃をしようから、そんなに遠く行かないでいて呉れ、そして、自分の屋敷の橘の花に、住み続けて鳴いてくれ。(折口信夫訳、岩波現代文庫)
ホトトギスは、よく通る声で鳴きます。初夏に最初に鳴く声を「忍び音」と言います。「テッペンカケタカ」と表現されることが多いのですが、私の子供のころには、「東京特許許可局」という読みをあてて、早口言葉のようにマネをして、遊んでいました。
https://www.youtube.com/watch?v=iH6UAfbDsP8
で鳴き声を聴くことができます。
声は良いのですが、ウグイスなどの他の鳥の巣に卵を生みこみ、子育てをさせるというえげつない鳥です。この習性は、「托卵」と呼ばれます。正確には、「種間托卵」(同種内で他の巣に卵を生みこむ「種内托卵」は多くの鳥でみられます)。ウグイスの巣でいち早く孵化した雛は、ウグイスの卵を巣の外に捨て、育て親を独占します。雛の背中は、ウグイスの卵をうまく載せられるように、すこし窪んでいます。また、ホトトギスの雛は、育て親に自分の子という勘違いを刷り込む技を持っています。育て親のウグイスは、形がまったく違うホトトギスの雛に給餌をして、けなげに育てます。ホトトギスの雛は、すぐに育て親のウグイスより大きくなるのですが、それでもウグイスは、自分より大きなホトトギスの雛に給餌します。この様子をとらえた写真を見たときは、なんてひどいやつだと思いました。ウグイスは、もうけなげで、あわれ。それに比べ、大きく育ったのに小さなウグイスから餌をもらっているホトトギスは、エグすぎです。
ホトトギスを含むカッコウの仲間には、種間托卵の習性が広く見られます。宿主をだまして餌をもらっているすばらしい写真を収めた本があります。残念ながら絶版ですが、中古は購入可能です。
小さなコルリが大きなカッコウの雛に給餌している見事な写真が忘れられません。すばらしい写真集です。
さて、上記の万葉集の記述は、もしかして托卵に関する世界最古の記録ではないかと思って、調べてみました。しかし、残念ながら、もっと古い記録がありました。
1977年に出版された種間托卵に関する総説
に
The early Vedic writers of India as well as Aristotle mentioned as common knowledge the fact that cuckoos are reared by other species.
という記載があります。Vedicとは「ヴェーダ」、つまり紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編纂されたバラモン教とヒンドゥー教の聖典です。アリストテレスの「動物誌」は紀元前4世紀の書物。
によれば、第9巻29章がカッコウについての記述です。「動物誌」は読んだことがありませんが、目次だけ見ても、とんでもない本であることがわかります。
紀元前4世紀にこれだけの書物が書かれていたとは、おそるべし古代ギリシャ、おそるべしアリストテレス。しかも、当時の記録は石板ですよね。一字一字、石に掘ったんです。カッコウの托卵の記述も。
万葉集の成立は紀元後の7世紀なので、アリストテレスの「動物誌」よりも1000年以上あと。このころにようやく日本人は、「文字」という記録のツールを獲得したわけです。そのあとのキャッチアップは早かったと思いますが、文字を持たなかったことのハンディがいかに大きいかを思い知らされますね。
大伴旅人に贈られた卯の花とホトトギスの歌
今日のInstagramでも紹介したように、伊都キャンパス生物多様性保全ゾーンでは、ウツギの花が咲き始めました。
ウツギの通称は、ウノハナ(卯の花)。明治のころに作られた歌曲『夏は来ぬ』の最初の歌詞で「卯の花匂う垣根にほととぎす早も来鳴きて忍び音もらす夏は来ぬ」と歌われています。私が子供のころには、この歌は学校で教わりましたが、いまはどうなのでしょうか。この歌詞を書いた佐佐木信綱さんは歌人で、古典にも通じていた方なので、卯の花とほととぎすが万葉集の多くの歌ででセットで歌われていることを当然ご存知だったでしょう。
そのうちのひとつは、第8巻の次の歌。
ほととぎす 来鳴き響(とよ)もす 卯の花の むたやなりしと 問はましものを
(ほととぎすの来て近辺をとよもして鳴いて散らす卯の花と一つになって、どこかに行っておしまいになったか、と跡を追うても、探したいものだが:折口信夫訳、岩波現代文庫より)
この歌には、以下の注がついています。
「右、神亀五年。太宰ノ師、大友ノ旅人の妻、大友ノ郎女が、病のため死んだので、勅使として、石ノ上ノ堅魚が、太宰府に弔問に来た時に、太宰府の役人たちと記夷の城に上って、眺望して遊んだ日、作ったもの」(折口信夫訳、岩波現代文庫より。なお、「記夷の城」は基山城)
神亀五年は西暦728年。翌年の神亀六年8月5日に改元が行われ、天平年間が始まりました。そしてその翌年、天平二年正月十三日に大伴旅人邸に山上憶良らが集まって32首の梅の歌を詠みました。その序文の一部から「令和」の元号が発案されました。三宅香帆さんの記事によれば、この宴は、妻の郎女(いらつめ)を亡くした大伴旅人を慰める意味があったそうです。
卯の花は、万葉の時代にはとても愛されていて、万葉集には24首の歌に詠まれています。ほんのわずかに黄味がかった白い花の色は、「卯の花色」と呼ばれ、平安時代からある伝統的な色の表現です。卯の花が白く咲いている月夜は、「卯の花月夜」。なかなか風情のある表現ですね。また、卯の花が咲くころに降る「梅雨の走り」の雨のことを、「卯の花くたし」と言います(「くたし」は腐し、腐らせるという意味です)。
それほど万葉の時代から日本人に親しまれた植物ですが、里山的な環境の減少とともに、九大伊都キャンパス周辺では珍しい植物になってしまいました。伊都キャンパス生物多様性保全ゾーンには、数株が残るだけです。しかし、ウツギの花の時期に活動し、ウツギの花の花粉で子育てをするウツギヒメハナバチがさかんに訪花していました。ウツギとウツギヒメハナバチの共生関係が、伊都キャンパスでいつまでも続いてほしいものです。
屋久島の豪雨
屋久島 山中で一夜明かした300人超全員の下山を確認
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190519/k10011921651000.html
とりあえず、行方不明者や大けがをした人が出ず、全員下山できたと聞いて、ほっとしました。登山客とともに荒川登山口に足止めされたバスの車中で18日の夜を過ごされた計28人のガイドさんたちにも、ごくろうさまと申し上げたい。まずはゆっくり休まれてください。ストレッチの指導をされたりしている様子をツイッターや知人のFacebookで知ることができました。
今回の事態については、これから反省の議論が進むでしょう。
17日午前の段階で、屋久島では週末に大雨のおそれがあるという気象情報が私のもとにも届いていました。私は屋久島をフィールドに研究を続けており、安房に家も持っているので、屋久島の気象情報についてはいつも気にかけています。
屋久島町に大雨警報が発表されたのは18日午後3時半ごろなので、縄文杉登山客をガイドする方たちには、18日早朝の時点での判断は難しかったでしょう。せっかく屋久島に来て、縄文杉に行くことを楽しみにしているお客さんに対して、中止の判断を下すのはむつかしい。また、屋久島はよく雨が降るところですから、「ここは屋久島だから多少の雨は仕方ないね」という判断で出発されたのでしょう。
しかし今後は、今回のようなことが起き得るという想定をすることが必要になります。大雨の予報が出ているときに、縄文杉に行くことはすすめられません。私がこの週末に屋久島に調査に入っていた場合、野外調査は中止したでしょう。実際に、大雨の予報を受けて野外調査を中止した経験が過去に何度かあります。そのうち一回の大雨時には、沢で流されて、不幸にして亡くなられた方が出てしまいました。
また、今回のような記録的豪雨は、九州では今後どこでも発生する可能性があります。たとえば、九大伊都キャンパスでも起こり得る。九大では、そのときにどうするかについてのリスク管理教育をしっかりやる必要があると思います。大学生活におけるリスク管理のテキストを、来春までに作れないかと考えていますが、やるべきことがたくさんありすぎ。ひとつずつ片付けます。
※はてなダイヤリーからはてなブログへの移行のときに、ブログのアドレスが2つになったため、「Y日記」を主に仕事関連のブログに、「Z」をそれ以外の、徒然なるままに書き連ねるブログにしようと思います。
「Y日記」に以下の記事を書きました。
適応的共同管理
https://yahara.hatenadiary.org/archive/2019/05/18
適応的共同管理(続)
ナガバギシギシにつくアブラムシは敵か味方か?
伊都キャンパス生物多様性保全ゾーンの道端にはナガバギシギシの群生があるのだが、どの株にも写真のようにたくさんのアブラムシ(たぶんギシギシアブラムシ)が付いている。ナガバギシギシの師管液を吸っているから、ナガバギシギシにとっては食害者、つまり敵に見える。しかし、このアブラムシの甘露を狙ってたくさんのアリが随伴している。アリ(種名不詳)は、少なくともアブラムシの天敵であるテントウムシ(たぶんナナホシテントウムシ)を追い払っている。下の写真は、アリによるテントウムシの撃退シーンだ。
ここから先は想像だが、ナガバギシギシの茎や葉を食害する蛾の幼虫なども撃退しているのではないか? もしそうなら、アブラムシはナガバギシギシにとってはむしろ味方かもしれない。
さらに想像を逞しくすると、スイバはアントシアニンやシュウ酸でアブラムシを含む食害者に対して防御している(だから赤くて酸っぱい)。しかしナガバギシギシはアリによる防御をしているので、アントシアニンやシュウ酸を作らないのではないか?
検証する価値のある仮説だと思うので、誰かぜひ調べてほしい。
なお、ナガバギシギシは外来種だが、ギシギシアブラムシは在来種で、在来植物のギシギシにも付く。おそらくギシギシと共進化したのだろう。