スイバの謎

f:id:yahara:20190515213601j:plainスイバの果実の拡大写真です(Instagramにもポストしました)。ご覧の通り、ピンク色の縁取りがあって、かなり綺麗です。アントシアニンの赤い色素が作られているのだと思いますが、この色に何の意味があるのでしょうね? おなじ属のギシギシは果実になっても緑色をしており、若い果実が光合成をして炭水化物を稼いでいます。その方が経済的だと思いますが、スイバの果実は緑色のクロロフィルを減らして、アントシアニンを作っています。何かを誘引しているとは考えにくいので、防衛機能の可能性が高いと思いますが、いったい敵は何者でしょうか。

f:id:yahara:20190515213718j:plainスイバにはもうひとつ謎があります。スイバは雌雄異株で、性染色体を持つことで有名です(昔の植物学者には有名でした。今は植物学者でも知らない人が多いかも)。ところが、場所によっては雌株ばかり生えていることがあります。九州大学伊都キャンパスもその例で、あちこちに群生していますが、雌株ばかりです。セイヨウタンポポのように無性生殖で種子を作る倍数体が広がっているのではないかと疑っています。

このように、ごくみじかな植物にも、わからないことがたくさんあります。

伊都キャンパス花だより

f:id:yahara:20190514204314j:plain4月から、伊都キャンパスの植物の写真をiPhoneで撮ってInstagramにポストしています。今日はクスノキコマツヨイグサの2種をポストしました。この季節は花が多く、1日1種では開花中の全種をとてもカバーしきれません。しばらくは2種ずつポストしようかなと考えています。この活動を一年続ければ、400種程度をカバーした植物ガイドが作れます。ハンディ版と豪華版を作ることを考えています。豪華版は九大のお土産として使ってもらえるでしょう。ハンディ版の方は、オリジナルな情報を盛り込んで、植物に詳しい人でも買いたくなる本にする予定。例えばアカオニタビラコとアオオニタビラコの違いや学名については、平凡社の日本の野生植物でも不正確なので、新しい正確な情報を提供する予定。このような付加価値をつければ、全国で買っていただけるでしょう。f:id:yahara:20190514204405j:plainご期待ください。

さて、今日ポストした2種は、どちらも研究してみたい植物です。クスノキは不思議な木で、成長が早く、陽樹的なのに、林冠に達して、かなり大きな木にならないと開花しない。かなり長寿の木で、神社にはよく老木があります。常緑樹とされていますが、葉の寿命は一年で、新葉の展開後に旧葉を落とします。クスノキについては、伊都キャンパスの森林移植地にかなりの個体数があり、過去15年間の成長・生残のデータがあります。森林移植の効果を検証した結果を論文にまとめる予定なので、その中で、クスノキについてもとりあげます。

コマツヨイグサは、北米東部原産の外来種ですが、明治初期にはすでに日本に渡来しており、100年以上の時間をかけて日本の自然環境に適応してきました。北海道から沖縄まで、広く分布しており、適応進化の研究材料としてとても有望。花が大きくて交配しやすいし、自殖も可能。おそらく自殖の程度も地域によって分化している可能性があります。自殖・他殖の進化の研究材料としても有力です。誰か研究しませんか?

詩の解釈の多義性ー万葉集の歌の解釈について考える

令和の出典となった万葉集の「蘭」が、ラン科植物ではなくフジバカマだという記事をJBPressに書きました。多くの方からコメントをいただきました。

-蘭が藤袴だとは驚きです。素晴らしい考察だと思います。令和の万葉集からの真の解釈が成り立ちますね。私も王羲之の蘭亭序曲水の宴が下地では無いかと思っていましたが、先生の意見に賛同いたします。格調高い蘭亭序曲水の宴と梅の宴の歌会。珮後の飾りと藤袴の植物学からのアプローチ。感動しました 。

-園芸クラスタの間でも話題になってた、序文に出てくる蘭の正体について! シュンランではないかと思ってたら日本に入ってきたのはずっと後とのこと。古代の中国についての知識がないと解けないナゾだったのはおもしろーい!  

-あの【蘭】は藤袴か‼️ 靄がすっと消えて、令月の庭の情景が目に浮かびます。孝謙天皇の歌が、世界最古のウイルス感染記録って凄いですね。

-あの「蘭」てなんなのか気になってたけど、フジバカマのことだったのか!しかも若葉を愛でるとは。みんな何かと花花って言うけど、草木の若葉もいいよね。

「蘭」って何だろう、という疑問に答えることができて、うれしく思います。

ただ、知人の末次さんからは、「やはりフジバカマが有力なんでしょうかね.ラン好きとしてはラン説もすてがたいですが...」という残念そうなコメントをいただきました。

そこで思い出したのが、赤とんぼの歌です。

「夕焼け小焼けの赤とんぼ おわれて見たのは いつの日か」

私は小さいころから、「おわれて」は「追われて」の意味で、自分が赤とんぼになって追われてみた、という詞だと信じてきました。昆虫少年だった私は、赤とんぼとして、自分が追われてみる気持ちになることに、何の疑問も感じなかったのです。

この解釈の夢を打ち砕いたのは、高校時代の旺文社模試。「おわれて」に当てる漢字としてどれが正しいかを選ぶ問題で、何の疑問も感じずに「追われて」に〇をつけた私を待っていたのは、この問題だけ×という、まったく納得がいかない結果でした。

その後、「姐や」の背中で負われて見た、という正解を知らされて、確かにこれが作者の意図だと思うし、試験問題的には正解だろうと理解したけど、それでも納得がいかなかった。作者がどういう意図で作ろうが、詩は生まれた時点から読者のものだ。読者が解釈する余地がある詩が良い詩なんだ。「鶏頭の十四五本もありぬべし」だってそうだ。読者の解釈の余地を許さず、ひとつだけの解釈を正解にする試験なんて、おかしい・・・と憤慨したのを、今でもよく覚えています。

だから、「蘭」を香の良いラン科植物と思いたい方は、ぜひその思いを大切にしてください。

新元号「令和」元ネタの万葉集では、「妄想力」が爆発していた

で三宅香帆さんが解説されているように、「梅花の宴」の詩は妄想の産物かもしれません。というより、そもそも詩は妄想の産物です。

一方で、以下のコメントもいただきました。

-「令和」という言葉を独り歩きさせずに、言葉が生まれる背景と生んだ光景とをどちらも味わえる美味しい記事。万葉の歌人の感じた風情を体感できれば、自ずと起源論争も片付くのかな。

記事を書いたときの私の意図を汲んでいただいたコメントです。「はじめての和書からの元号だ」「いや漢籍にオリジナルがある」という起源論争をしている方々にお願いしたい。詩を読んでよ。「梅は鏡前の粉を披(ひら)き 蘭は珮(はい)後の香を薫す」という序文が描いた光景を、あなたはどう解釈するの? 

そういう思いでいる私に、万葉集研究者として知られる品川悦一氏の主張が届きました。この主張を紹介したGEISTEさんのツイートは、現時点で4929回もリツイートされています。冷静な解釈より、激しい記事のほうが注目を集める例ですね。

品川さんには、ファクトと解釈を分けましょうよ、と申し上げたいです。これは、自然科学では当たり前のルールです。解釈は多義的であって良い。品川さんのように批判的な見方をするのは、研究者としては大切なアプローチですね。しかし、他の可能な解釈を公平に紹介せずに、自分の解釈だけを一方的に主張してはあかんでしょう。

大伴旅人太宰府に赴任した背景については、Wikipediaの以下の解説が公平なまとめだと思います。

当時権力を握っていた左大臣長屋王排斥に向けた藤原四兄弟による一種の左遷人事[4]、あるいは、当時の国際情勢を踏まえた外交・防衛上の手腕を期待された人事[5]の両説がある。・・・旅人の大宰帥時代については、史料が万葉集のみに限られていることから、旅人周辺の人物関係については推測の域を出ていない考察が多い。

歴史学者であれ植物学者であれ、研究者の大事な仕事は、ひとつひとつのファクトをしっかりと確認し、根拠を積み上げていくことでしょう。それをどう解釈するかについては、さまざまな立場があり得ます。その解釈の余地を狭めていくには、ファクトを積み上げるのが大事。一方的な主張を展開して、対立をあおるべきではありません。

あれ、赤とんぼの歌詞の思い出を書いているうちに、しょっぱい話題になってしまいました。万葉集は明治から太平洋戦争にかけて、国威発揚に使われたという歴史もあり、万葉集を語りだせば、しょっぱい話題は避けられませんね。

詩については、いろいろな解釈があって良いと思います。解釈をめぐる対立を避けるうえで大事なのはファクトです。

私の記事では、起源論争を回避するために、いくつかのファクトを提示しました。「梅花の宴」の序文は、張衡「帰田賦」や王義之「蘭亭序」などを念頭に置きながら、独自の工夫をこらして書かれた。そこで描かれた光景は、とてもさわやかだと思います。私の記事が、そのさわやかさを伝えるうえで役に立つことを願っています。

令和の序文が詠まれた光景

久しぶりにJBPressに記事を書きました。

令和の出典に登場する「蘭」、歌人が見た光景とは?

元号が発表されるとすぐに、twitterではいろいろな情報が流れ、蘭亭序との関連や、張衡「帰田賦」の「仲春令月、時和気清」という先例が指摘され、「やっぱり漢籍じゃないか」という意見も出ました。しかし「蘭」とは何か、「珮」とは何かを誰も気にしていないようでした。

私は中学時代に植物が好きになり、週末は植物採集に明け暮れる生活をしていました。そのころ、ヒヨドリバナに、ブナ林に生える小型のものと、路傍に生える大型のものがあることに気づきました。前者が2倍体の有性型、後者が倍数体の無性型だとわかったのは、私が大学院生として研究をはじめてからでした。このいきさつは、『花の性ーその進化を探る』に書いたので、JBPressの記事でヒヨドリバナやフジバカマに興味を持たれた方はぜひご一読ください。

植物好きの人の間では、万葉集に興味を持つ人が少なくありません。私も自然に万葉集に興味を持ち、中学以来、万葉集の歌に親しんできました。したがって、今回、万葉集を典拠として新元号が決まり、その影響で万葉集関連の著作がブレークしていることをとても喜んでいます。

その私から見ると、「万葉集からとった」「いや漢籍にオリジナルがある」という論争は、不毛に思えます。まず、出典となった万葉集の序文や、張衡の「帰田賦」をしっかり読んでみましょうよ。その思いで記事を書きました。

張衡はとんでもない天才ですよ。レオナルド・ダビンチみたいなマルチタレント。しかし、「仲春令月、時和気清」に続く、「原隰鬱茂、百草滋榮」(湿原は繁茂し、百草はよく成長している)は、私には不満ですね。「百草」で一緒にせんといてや、って感じです。彼はナチュラリストではなかったのでしょうね。

張衡の詩に比べて、「初春の令月にして 気淑(よ)く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披(ひら)き 蘭は珮(はい)後の香を薫す」の方が、梅と蘭、鏡前の粉と珮後の香の対比があざやかで、私好みです。しかし、この序文が描いている光景を思い描くには、蘭と珮後の香についての理解が必須です。

蘭については、ヒヨドリバナを研究していた経歴から、かなりの知識を持っていました。万葉集にうたわれた「蘭」に関しては、当時の中国での用法、記事に書いた「澤蘭」の正体などから考えて、フジバカマを含むヒヨドリバナ属の植物を指していることは間違いない。記事に書いた情報以外では、日本大百科全書(ニッポニカ)のフジバカマについての解説、が参考になります。湯浅さんが解説されているように、『楚辞』には「蘭草大都似沢菊」(蘭草はだいたい沢菊に似る)、という記述があります。この「蘭」がキク科植物であり、ラン科でないことは明らか。フジバカマは、香草としても薬草としても中国では古くから栽培されており、日本とは違って、中国ではとてもメジャーな植物です。曲水の宴でも行われるフジバカマを使った禊、「佩兰祓禊」を百度で画像検索すると、フジバカマの枝を使ってお祓いをしている写真、がたくさんヒットします。また、「佩兰中药」で検索すれば、フジバカマの花の画像とともに、フジバカマの乾燥させた葉や茎の画像、がたくさんヒットします。この乾燥させた葉や茎を香珮に詰めて、腰から下げてる風習が古くからありました。

」と「」の違いについては、今回、初めて知りました。百度で画像(图片)検索すると、同じような画像がたくさんヒットして、違いがよく理解できませんでした。しかし百度百科で調べてみると、「珮」は「意思是指古代的一种玉质装饰物」と説明されており、玉(ぎょく)で作られた装飾物全般を指す表現です。玉で作られた容器も、「珮」と呼ばれます。これに対して「佩」は同じ読みですが、「本意是指系在衣带上的装饰品;也指把徽章、符号、手枪等戴在或挂在胸前、臂上、肩上或腰间」と説明されています。つまり、胸であれ腰であれ、衣類につけた装飾品が「佩」です。フジバカマを佩草と呼ぶのは、香珮を腰から下げる場合に加えて、フジバカマの乾いた枝自体を腰などに身に着けていたことに由来しているのではないかと考えています。蚊取り線香代わりだったというアイデアを記事に書きましたが、これは私のオリジナル仮説です。この点に関しては、まだ調査中ですが、春秋時代などの古い「珮」の形態を見ると、この仮説はかなり有力だろうと考えています。

さて、万葉集。梅すらまだ珍しい花だったころに、中国からもたらされた漢詩の知識をベースにしながら、五七五七七のリズムで和歌が詠まれた。そして、中国の『文選』のような歌集を編むプロジェクトが始まり、万葉仮名という発明がなされ、ついに完成したのが万葉集。いくつもの特色がありますが、そのひとつは多くの植物が歌われていることでしょう。万葉人には、ナチュラリストが多かった。

フジバカマのほかにも、万葉の植物について書きたい話題はいろいろありますが、それはまた別の機会に。

卒業生に送る言葉

昨日は卒業式だったので何人かの学生からメールが届きました。私はフィリピンに出張しているので、卒業式には出れませんでした。メールの返事で書いたのは、活躍しなくても良いので、まずは健康管理をしっかりやって、引き受けた責任をきちんと果たしてほしいということです。そのためには、睡眠時間を確保して、食事をきちんと摂って、適度な運動をすることが大事ですね。私はいま、フィリピンで毎日山に登って、植物の調査しています。64歳で若い人たちと一緒に野外調査をできるのはありがたいです。いつ調査に出かけても良いように、毎日ささやかなトレーニングをしています。原則として11時に寝て6時に起きて、外に出て太陽の光を浴びてストレッチをします。太陽の光は、体のリズム(概日時計に制御されるリズム)を調整する上で重要です。朝日を浴びてストレッチをするようになってから、体調が良くなりました。

引き受けた責任をきちんと果たすというのは、簡単なようで難しいです。例えばポスドク助教として研究を続ける人の場合、卒業後に毎年一つで良いので、論文を発表し続けることです。これをきちんと続けられる人は、どんな仕事についても、いずれ信頼されて、もっと大きな仕事を任されるでしょう。

大事なのは、短期的に活躍してそのあとで息切れするよりも、長期的に仕事を積み上げていくことだと思います。

4月から新しい仕事につく卒業生の健康を祈ります。

 

春を生んだ里山

先日見た記事によれば、日本の良いところについてのアンケートの一位が、四季があること、だったそうです。多く人が都会で暮らす現代の日本でも、春夏秋冬の季節の変化を愛でる心根が生きていることを知って嬉しく思いました。

でも、季節の変化を四季、春夏秋冬に分ける文化は、いつ頃始まったのでしょうね。分類学という研究をしているので、四季という分類のルーツが気になります。

たしか、古事記には春の記述がなかったはず、と思って「古事記」「四季」で検索してみると、やはりそうでした。古事記には、「夏」「秋」「冬」という漢字は使われていますが、「春」は使われていません。そもそも古事記には、春夏秋冬の記述がほとんどないのです。→季節のない神話(三浦祐之)

オオクニヌシが高志のヌナワカヒメに求婚したときの歌「青山にヌエは鳴きに鳴きぬ」に歌われたヌエはツグミだと解釈されており、これは春の歌だと考えられています。「青山」も春の新緑の山を表現しているのでしょう。しかし、春という言葉は使われていません。→古事記の季節(小出一冨)

春は駆け足で過ぎていきます。木々が目立ち、桜が咲くのは、福岡であれば4月上旬です。下旬になれば、菜種梅雨がもたらす雨の中で青葉がぐんぐん茂り、あっという間に初夏を迎えます。福岡では、一か月ほど春を感じることができますが、札幌の春はさらに短い。

春は四季の始まり。木々が芽だち、とても心踊る季節ですが、古事記の時代の日本人にとっては、夏の始まりと見なされていたのかもしれません。

万葉集の時代になると、春という言葉が使われ、春の歌がたくさん歌われました。この変化は、稲作と里山の拡大を反映しているのでしょう。人間が田を開き、原生林を里山の森に変える中で、桜が点在する、春の山が生まれたのだと思います。

都会に暮らすみなさん、春には里山に出かけて、昔ながらの春を楽しんで見ませんか?

幸い、九州大学伊都キャンパスには、生物多様性保全ゾーンに里山の森が残されています。ぜひ一度、足をお運びください。

南アルプスでのリニア新幹線工事

生態学会大会でエコパークシンポに出て、リニア新幹線工事がトンデモない計画だということを始めて知った。南アルプスの地下を通るトンネルを掘るために大井川上流の谷あいから長野県側と岐阜県側に掘り進める。大量に発生する土砂捨て場として、大井川の河岸段丘を埋める。大井川上流の谷部・斜面はなんと国立公園外で、しかも民有地。エコパークのバッファーゾーンに指定されていることが乱暴な工事への唯一の歯止めになっている。トンネルは地下150メートル。この深さから土砂を運び出す。工事のために約600人が大井川上流で暮らす。廃水が出るし水も使う。電力が必要なので受電鉄塔を新設する。その送電線が良好なブナ林を通る計画は、交渉してルートを変更。粘り強く対応されている増沢先生には脱帽です。